お薬を、ほぼ2週間分、一気に飲んでしまったのは3月3日ひなまつりの日だ。
あたしはトイレでぐにゃぐにゃになっていて、
見つけたお母さんが主治医の先生に電話したみたいで、
先生は「その量なら胃洗浄の心配は無い」って言ったらしいけど、
その日を合わせて4日間、重い吐き気で、のたうち回るには充分な量だった。
その前日から、当日の朝まで、いちお、耐えたんだよ、がんばったんだよ。
頭の中の男の声がうるさかったんだよ。
死ねって言われて、
切れって言われて、
お薬飲めって言われて、
また、死ねって言われたから。
死ななきゃいけないと思って、
切らなきゃいけないって思って、
お薬飲まなきゃいけないって思って、
やっぱり、死ななきゃいけないって思った。
死ぬつもりで一気にお薬を飲んだことは、無いんだけれど。
選択肢が「切る」か「飲む」か迫られて、苦しかった。
いくらカッターで切ったって、今の、この力じゃ死ねないよ。
いくらお薬飲んだって、今、手持ちの量じゃ死ねないよ。
わかってるよ。
でも、選択を迫られて、その命令を聞いてしまったよ。
冷静に、淡々と、ゆっくり、でも着実に、その準備をしてる自分を、外から見ていたよ。
「あたし」は体から追い出されてしまったよ。
「あたし」は居ないのに、何処かが、髪の毛一本ぐらいの、細い糸で繋がっている。
シークワァーサーのジュースでお薬をぜんぶ飲んだ。
無機質な丸い粒が、口の中で軽快に、まるでその行為を笑うみたく、コロコロ転がるの。
文字を打ち込んでいる今でも、ひどい吐き気がする。
苦く、舌の上で、コロコロ、コロコロ。
一粒一粒、甦る。
「思い出す」の域を超えて、
「その時に飛ぶ」って感覚の方が、きっと正しい。
それを、あたしは、繰り返す、たぶん、死ぬまで。
いちにちに、何度も飛んで、何度も吐き気に襲われる。
ごめんなさい先生、もう、お薬は飲めません。
ごめんなさい先生、一粒も、もう要りません。
ごめんなさい先生、あたしが悪いです。
学習能力と理解力と自制心が足りません。
ごめんなさい。