やべぇー朝キター!
┣¨┣¨┣¨≡ヘ(*`Д´)ノ┣¨┣¨┣¨
寝れねぇ。
夜明けっていちばん嫌い。
なんだか気持ちが無駄に焦るし。
明るくなる前に消えなきゃって思ってしまう。
ついでに言うと、もー病院嫌じゃあ。
イエローカードとかレッドカードで退場!とか嫌じゃあ。
もー昨日、腕切ったー。
レッドカードで確実に退場だよー‥先生が。
あたしじゃなくて先生が。
それが超つれぇー。
まだあたしが退場させられた方がマシ。
あああああぁぁぁぁぁあああぁぁあぁあぁあぁぁぁ
この前先生は「退場すんのはボク。ボクの力不足のせい」って言ったね。
馬鹿なあたしにわかりやすくていねいに例え話で話してくれたね。
「例えば、ボクが寿司屋をやっていたとして、
そこに日本料理を食べたい外国人が入ってきたとします。
その外人は寿司屋のボクに向かってこう言います。
『テンプ~ラ、ク~ダサイ!』
でもボクは寿司屋だから、寿司は握れても、天ぷらは作れません。
まぁ・・その人に情が移って、1度ぐらいは天ぷら作ってあげるかもしれない。
でも、たぶんその天ぷらはクソまずくて本物じゃない。
その人に美味しい正しい天ぷら食べてほしいから、
だからボクは、美味しい正しいてんぷら屋さんを紹介したい。
ボクはあなたに出来るだけ早く元気になってもらいたいから、
寿司屋(薬物療法専門)のボクは退場して、ボクより腕の良い、
他の天ぷら屋(カウンセラー)の医者を紹介しようか? って言ったんだよ?わかった?」
あたしが食いしん坊だからか?
食べ物の例えで、すげぇわかったけど。
そこには先生の「心」しかないよね? あたしの「心」は?
「今は、先生の天ぷら食べたい」んじゃダメなんですか?
つーか、あたしがそう言ったらたぶん先生はまたこう言うんデショ?
『ボクのこと好きだからって側にいたいと思っちゃダメ。
ボクの目的は、医者の目的は患者と離れる事なんだよ。
依存してしまったら、いつまでたっても病院卒業は出来ない。』
あたし、依存とか、それだけはダメ。 なのはよくわかってるよ?
先生に恋した瞬間から何十回、何百回、何千回、何万回と呪文の様に唱えて考えてるよ?
そりゃ病気は治りたいですよ、苦しいですもん。
そりゃ美味しい正しい天ぷら食べて早く元気なりたいですよ。
先生は、寿司屋(薬物療法)と天ぷら屋(カウンセリング)は違うと言うけれど、
元を辿ればどちらも「心を診る」に行き着くんじゃないのかなぁ。
いちばんに大切に考えるのは患者さんの「心」なんじゃないのかなぁ。
違うのかなぁ?
あたしが馬鹿で単純だから、表面しか見えてなくてそう思うだけかなぁ。
それとも先生は精神科医だから「心」について、
深く深く勉強し過ぎて簡単な単純なことを忘れてしまったのかなぁ。
あたしは先生への恋心を抜きにしてそう思っているつもりなんだけど。
それ抜きにしても、「今」はまだ、先生のがいい。
って想うあたしの「心」は? 何処へ行くの? 消えてくの?
今、いくら美味しい正しい天ぷら食べても満たされないと思う。
「医者」と「患者」という関係であれ、あたしたちは出会ってしまったんだよ、先生。
どんな形であれ「心」は交わってしまったんだよ、先生。
もういちど言っていい?
大事なのは「心」デショ、先生?
病気が早く治ればそれで全部いいの、先生?
あたしは、そうは思わないし、思いたくないよ、先生?
「病気」は治るかもしれないけど、きっと「心」にしこりが残る。
「あの時こうすればよかった」とか「もしこうだったら」とか、
何が良くて何が悪かったかなんて、所詮、結果論でどーとでも言える。
物事は両方やってみて初めてどっちが良かったか判断出来るもんデショ?
だからあたしは、先生の言うとおり、
いつかは先生を卒業して美味しい正しい天ぷら屋に行くと思う。
でも「今」は、まだその考えに「心」が付いていかないんだよ。
先生には、そのあたしの「今の心」の状態をわかってほしい。
いつの日か、美味しい正しい天ぷら食べて元気になっても「心」が満たされなかったら。
また先生の、あのクソまずい天ぷら食べに行ってもいい?
たぶん、そのクソまずい天ぷらが、 あたしにとったらある意味いちばんなんだけどね、先生。
┣¨┣¨┣¨≡ヘ(*`Д´)ノ┣¨┣¨┣¨
寝れねぇ。
夜明けっていちばん嫌い。
なんだか気持ちが無駄に焦るし。
明るくなる前に消えなきゃって思ってしまう。
ついでに言うと、もー病院嫌じゃあ。
イエローカードとかレッドカードで退場!とか嫌じゃあ。
もー昨日、腕切ったー。
レッドカードで確実に退場だよー‥先生が。
あたしじゃなくて先生が。
それが超つれぇー。
まだあたしが退場させられた方がマシ。
あああああぁぁぁぁぁあああぁぁあぁあぁあぁぁぁ
この前先生は「退場すんのはボク。ボクの力不足のせい」って言ったね。
馬鹿なあたしにわかりやすくていねいに例え話で話してくれたね。
「例えば、ボクが寿司屋をやっていたとして、
そこに日本料理を食べたい外国人が入ってきたとします。
その外人は寿司屋のボクに向かってこう言います。
『テンプ~ラ、ク~ダサイ!』
でもボクは寿司屋だから、寿司は握れても、天ぷらは作れません。
まぁ・・その人に情が移って、1度ぐらいは天ぷら作ってあげるかもしれない。
でも、たぶんその天ぷらはクソまずくて本物じゃない。
その人に美味しい正しい天ぷら食べてほしいから、
だからボクは、美味しい正しいてんぷら屋さんを紹介したい。
ボクはあなたに出来るだけ早く元気になってもらいたいから、
寿司屋(薬物療法専門)のボクは退場して、ボクより腕の良い、
他の天ぷら屋(カウンセラー)の医者を紹介しようか? って言ったんだよ?わかった?」
あたしが食いしん坊だからか?
食べ物の例えで、すげぇわかったけど。
そこには先生の「心」しかないよね? あたしの「心」は?
「今は、先生の天ぷら食べたい」んじゃダメなんですか?
つーか、あたしがそう言ったらたぶん先生はまたこう言うんデショ?
『ボクのこと好きだからって側にいたいと思っちゃダメ。
ボクの目的は、医者の目的は患者と離れる事なんだよ。
依存してしまったら、いつまでたっても病院卒業は出来ない。』
あたし、依存とか、それだけはダメ。 なのはよくわかってるよ?
先生に恋した瞬間から何十回、何百回、何千回、何万回と呪文の様に唱えて考えてるよ?
そりゃ病気は治りたいですよ、苦しいですもん。
そりゃ美味しい正しい天ぷら食べて早く元気なりたいですよ。
先生は、寿司屋(薬物療法)と天ぷら屋(カウンセリング)は違うと言うけれど、
元を辿ればどちらも「心を診る」に行き着くんじゃないのかなぁ。
いちばんに大切に考えるのは患者さんの「心」なんじゃないのかなぁ。
違うのかなぁ?
あたしが馬鹿で単純だから、表面しか見えてなくてそう思うだけかなぁ。
それとも先生は精神科医だから「心」について、
深く深く勉強し過ぎて簡単な単純なことを忘れてしまったのかなぁ。
あたしは先生への恋心を抜きにしてそう思っているつもりなんだけど。
それ抜きにしても、「今」はまだ、先生のがいい。
って想うあたしの「心」は? 何処へ行くの? 消えてくの?
今、いくら美味しい正しい天ぷら食べても満たされないと思う。
「医者」と「患者」という関係であれ、あたしたちは出会ってしまったんだよ、先生。
どんな形であれ「心」は交わってしまったんだよ、先生。
もういちど言っていい?
大事なのは「心」デショ、先生?
病気が早く治ればそれで全部いいの、先生?
あたしは、そうは思わないし、思いたくないよ、先生?
「病気」は治るかもしれないけど、きっと「心」にしこりが残る。
「あの時こうすればよかった」とか「もしこうだったら」とか、
何が良くて何が悪かったかなんて、所詮、結果論でどーとでも言える。
物事は両方やってみて初めてどっちが良かったか判断出来るもんデショ?
だからあたしは、先生の言うとおり、
いつかは先生を卒業して美味しい正しい天ぷら屋に行くと思う。
でも「今」は、まだその考えに「心」が付いていかないんだよ。
先生には、そのあたしの「今の心」の状態をわかってほしい。
いつの日か、美味しい正しい天ぷら食べて元気になっても「心」が満たされなかったら。
また先生の、あのクソまずい天ぷら食べに行ってもいい?
たぶん、そのクソまずい天ぷらが、 あたしにとったらある意味いちばんなんだけどね、先生。
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